千葉地方裁判所 平成3年(ワ)825号 判決 1994年7月28日
原告
須賀輝文
被告
三代川正徳
主文
一 被告は、原告に対し、金三八七万六八八九円及びこれに対する平成三年七月一〇日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告の請求
被告は、原告に対し、八五〇万二五六〇円及びこれに対する平成三年七月一〇日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 争いのない事実と原告の請求内容
1 争いのない事実(本件事故の発生等)
(一) 日時 昭和六一年五月二六日午後七時二五分ころ
(二) 場所 市川市鬼高四丁目一番一号先産業道路上
(三) 加害車両 普通乗用車(習志野五六る八五九三)
右保有者 被告
右運転者 被告
(四) 被害車両 普通乗用車(習志野五八て八五〇三)
右運転者 原告
(五) 事故態様 被害車両は、前記道路を進行中先行車両が急停車したためこれにともなつて停止したところ、加害車両が被害車両に追突した。
(六) 被告の責任 被告は、本件事故により原告が被つた損害について、自賠法三条による損害賠償責任を負う者である。
2 原告の請求内容
原告は、本件事故により頸部捻挫の傷害を負つたと主張して、治療費、逸失利益、交通費、慰謝料、弁護士費用など後記争点に対する判断中で内訳を示すように合計八五〇万二五六〇円の損害の賠償を請求している(付帯請求は本件訴状送達の翌日からの遅延損害金である。)。なお、後記<1>漆原病院、<2>吉岡接骨院(昭和六一年一一月一七日までの通院分)及び<3>菅田整形外科医院の治療費合計一四三万三五六〇円は、被告が締結していた責任共済により全額支払われている(当事者間に争いがない)ため、本件では請求されていない。
二 争点
本件事故により原告が負つた傷害の程度及び損害の有無数額が本件の争点である。
第三争点に対する判断
一 原告の負傷及び治療経過
1 証拠(甲一、二ないし五の各一・二、六、七の一・二、八、乙一の一ないし四、四の一・二、五ないし七、八の一ないし三、九・一〇の各一・二、証人菅田隆久、原告本人)によれば、次の事実を認定することができる。
(一) 本件事故は、被害車両の後部バンパー及びその付近に加害車両の右前照燈及び前部バンパーが追突したものであり、その事故態様は重大なものではないが、これにより被害車両には後部バンパー脱着、ホースメント交換、マフラー交換その他の修理を要する損傷が生じた。被害車両には、運転席にいた原告のほかに三名の同乗者がおり、これらの同乗者は本件事故による頸推捻挫の診断名で後記漆原病院及び同吉岡接骨院に通院して治療を受けたが、経過良好で二週間から二か月弱という比較的短期間に治癒した。
(二) 原告(昭和二二年一月生れ)は、<1>事故当日の昭和六一年五月二六日、漆原病院で受診し軽度の後頸部通を訴え、六月二日まで三回通院し湿布療法を受けたが、しびれ、吐き気等はなく、X線撮影検査では骨に異常は見当たらず、頸推捻挫で全治まで約一四日を要する見込みであると診断された。原告は、<2>別に同年五月二七日から、自宅近くの吉岡接骨院に通院するようになつた。この通院は同年一一月一七日までの長期に及び、この間、原告は、頸推捻挫の負傷名で、ほとんど連日通院して、マツサージ及び湿布等の処置を受けた。そして、この間の吉岡接骨院の施術録には、五月二七日(初診時)著しい頸部の疼痛あり、頸の前後左右屈曲及び捻転等不能、歩行時疼痛あり、七月三〇日やや頸の運動、特に捻転等が楽になつてきた、朝起きたときの痛みだいぶあり、一〇月一一日朝起きた時頸部の痛みやや和らぎ、まだ頸部の重い感じが残つている、頸の運動だいぶ回復、後方屈曲時強い痛みがある、等の記載がなされている。ところで、吉岡接骨院への通院が長期になつたことから、責任共済の担当者は、原告に対し、医師の治療を受けるよう申し入れた。そこで、原告は、<3>昭和六一年一一月一八日から菅田整形外科医院に通院するようになり、この通院も昭和六二年八月二〇日まで(通院実日数二一四日)の長期間に及び、原告はこの間やはりほぼ連日通院して、頸推捻挫の診断名のもとに、ビタミン剤、痛み止め薬の投与、マツサージ、牽引などの治療を受けた。この間の同医院の診療録には、次のような記載がなされている。初診時重圧感あり、運動良好、しびれ、頭痛なし、六二年三月一六日寒冷時背部痛あり、頸はそれほどでない、同年三月三〇日首を後方に伸展すると痛みあり、同年五月一四日頸部~背骨にかけて寒冷時疼痛、首筋がはつている、運転バツクする時に不便で痛い、同年六月一九日関節可動域良好、仕事休んでいる、同年七月八日項部~腰にかけて引つ張られるような重い感じがする、同月二一日首が食い込むようだ、背中全体が引かれるようだ。同月三〇日首が引つ張られるようだ、同年八月一九日背中から腰にかけて気分悪い(但し寒い時)。そして、菅田整形外科医院では、前記昭和六二年八月二〇日をもつて経過良好により治癒したものと診断された。ところが、原告は、<4>昭和六二年八月二一日から再度連日のように吉岡接骨院に通院するようになつたが、この時は、頸部について<2>の時より悪化し、疼痛も増加していると訴えたほか、腰部痛も訴え、吉岡接骨院は負傷名に頸部捻挫のほか負傷時期を本件事故当日とする腰部捻挫を追加し、双方について施術した。そして、原告は右のとおりほぼ連日通院したが、吉岡接骨院は、相当長期間経過後の昭和六三年一月三〇日頸部捻挫は運動正常疼痛消失として治癒したものと診断し、腰部捻挫も同年二月二〇日治癒したものと診断した。
2 右認定によれば、原告は、本件事故により頸推捻挫の傷害を負つたことを認めることができる。そして、右頸推捻挫のほかには、骨には異常はなく、神経症状もなかつたのであるところ、<3>の治癒時間は約一〇か月に及び、その前の<1>及び<2>の治癒と合わせると一年三か月もの長期間に及んでいることになる。しかし、前記のとおり<1>ないし<3>の治癒に関する治療費は既に責任共済において全額任意に支払いずみのものであるところ、証人菅田隆久の証言によれば、菅田整形外科医院では医師が原告を直接診察しながらその専門的判断により必要があると認めて治療を継続したものであることを認めることができるから、特別の事情のない限り、このような主治医の専門的判断に基づく治療がもともと必要のないものであつたということはできず、本件でも右のような特別の事情を認めるに足りる証拠はない。そうすると、これ以前の<2>の治療も不必要なものであつたということはできない。従つて、二週間程度の治療期間を超える治療についてはすべて本件事故と因果関係を欠くものである趣旨の被告の主張は、採用することができない。しかし、同時に、前記のとおり、菅田整形外科医院では昭和六二年八月二〇日をもつて治癒したものと診断されているところ、この診断も、長期間にわたり直接診察治療に当たつていた主治医の判断として、特別の事情のない限り、その正当性を否定できないものというべきである。そして、本件では、<4>の治療は、医師の判断のもとに行われたものではないし、単純な頸推捻挫が<2>の治療を受けていた当時より悪化し疼痛も増加した等の前記吉田接骨院の診療記録もそのままそうとは信じ難いところであるし、更に、<4>の治療では、腰部捻挫に対する治療も行われているところ、<1>ないし<3>の治療経過に照すと、腰部捻挫が本件事故により生じたものであると認めることはできないというべきである。そうすると、<4>の治療は、本件事故と相当因果関係のあることを認め難いといわざるを得ず、そのほかには、この点を積極に認定するに足りる証拠はない。
二 治療費の請求について(原告の主張額は六三万九二〇〇円で、これは前記一1(二)<4>の通院治療費である。そのほかの同<1>から<3>までの治療費合計一四三万三五六〇円については、前記のとおり責任共済により支払われている。)
前記一の認定によれば、原告の右治療費の請求は、理由がない。
三 逸失利益の請求について(原告の主張額は五四〇万円。原告の主張するその根拠は、次のとおりである。原告は、本業として牛乳販売業を営みそのほかにもアルバイトの仕事をしていたが、本件事故による傷害のため昭和六三年二月二〇日過ぎまで働けなかつた。この間昭和六二年三月までの一〇か月間は訴外畠中源吉を一か月一五万円の給料で牛乳販売業の手伝いに頼み右給料合計一五〇万円の損害を被つた。右のように一五万円の給料で手伝いを頼んでいることからみて原告にはその三倍ないし四倍の収入があつたというべきであるところ、畠中が手伝いをやめた後は傷害による苦痛や通院のため本業は事実上開店休業状態となり、事故前と同じ収入を得ることはできなかつたが、その収入減は少なくとも一か月三〇万円ないし三五万円であり、一三か月間では少なくとも三九〇万円である。従つて、以上の損害は少なくとも合計五四〇万円になる。)
1(一) 証拠(証人畠中源吉、原告本人)によれば、次の事実を認定することができる。
原告は、配達の方法による牛乳の販売業をしているが、妻が手伝いをするほかには従業員はいなかつた。右の販売業は、牛乳を自動車に乗せて運搬しこれを下ろして届けることが主な作業であり、自動車の運転や重量物の取扱いが含まれる。但し、この仕事は深夜から午前中比較的早い時までの作業を中心とするものであり、その後の時間は比較的余裕がある。ところが、原告は、本件事故により前記傷害を受け、右のような仕事をしにくくなつたため、本件事故のすぐ後から少なくとも昭和六二年二月までの間、知人の畠中を一か月一五万円の給料で手伝いに頼み、牛乳販売の仕事を続けた(その後は畠中は自己都合で手伝いをやめた。)。従つて、右の期間を九か月とすると、その間の右給料は合計一三五万円になる。
(二) そして、右の畠中の雇用及び給料の支払いが不必要な状況にあつたことを認めるに足りる証拠はないから、右の一三五万円は本件事故により原告が被つた損害というべきである。
2(一) 次に、原告は前記のように頸推捻挫の傷害を負い、前記<3>までの通院治療を受けたのであるから、その治療の頻度にも照すと、前記昭和六二年八月二〇日まで(昭和六二年三月一日から一七三日になる。)は本件事故のため事故前と同様には仕事をすることができず、そのため前記営業上の収入減が生じたと認めるのが相当である。しかし、その後については、前記認定に照すと本件事故と因果関係のある程度に右のような状況にあつたことを認めることはできない。
(二) 右一七三日間について仕事上被つた支障の程度を検討するに、本件の全証拠によつてもこの間原告が全く仕事ができない状況にあつたと認めることはできず、また、支障の具体的状況を的確に認定するに足りる証拠はない。しかし、単なる頸推捻挫による前記のような症状は、これを後遺障害の場合として労働能力喪失率を見ると通常大きくとも十数パーセント程度とされているものである。これに、前記のような極めて頻繁な通院状況となお前記のように原告の仕事の性質上日中は比較的時間の余裕があつたと認められることを総合すると、右期間を通じて四〇パーセント程度の収入減があつたものと推認するのが相当であり、これ以上の支障があつたことを認定するに足りる証拠はない。
(三) そこで、傷害がなければ得ていたであろう収入について検討するに、原告本人の供述のうちには、原告は、本件事故前は牛乳販売業で一か月三五万円程度の収入を、またアルバイトで同二〇万円程度の収入を得ていたと供述しており、これによると年収は六六〇万円程度になるところ、これを確実に認定できるほどの裏付け証拠はない。しかし、原告は妻及び二名の子の家庭(甲一一等及び原告本人)の生計を前記のような仕事による収入で維持していたものであることに照すと、特別の事情のない限り、少なくとも昭和六二年度の賃金センサスによる産業計・学歴計・男子労働者の四〇歳の平均年収額である五三七万二三〇〇円程度の収入を得ていたものと認めるのが相当である。そして、その一七三日分の四割は一〇一万八五二九円になる。
四 交通費の請求について(原告の主張額は一六万三三六〇円)
証拠(原告本人)によると、原告はバスで菅田整形外科医院に通院したところ、その料金は往復で七四〇円であることを認めることができる。そして、その前記二一四日分は一五万八三六〇円であり、これは、本件事故と相当因果関係のある損害に当たると認めることができる。そのほかの交通費の損害があつたことを認定するに足りる証拠はない。
五 慰謝料の請求について(原告の主張額は一五〇万円)
前記認定の事故の態様、傷害の態様、治療期間その他の状況によると、慰謝料は一〇〇万円と認めるのが相当である。
六 弁護士費用の請求について(原告の主張額は八〇万円)
以上の三ないし五の損害は合計三五二万六八八九円になるところ、右の損害額等の一切の事情によると、原告が本件訴訟のため負担する弁護士費用は、右訴え提起当時の現価として、三五万円の限度で本件事故と相当因果関係のある損害に当たると認めるのが相当である。
七 まとめ
以上の次第で、原告の請求は三ないし六の合計三八七万六八八九円及びこれに対する原告主張の平成三年七月一〇日から支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 加藤英継)